あらすじ
このまちの美しい景観を、住民が担い手となってまもり育てる運動(注1)
景観は社会の変化で変わりゆくもの、それに対応する哲学の共有が必要
はば広い住民の共感を得るために配慮すべきこと
美瑛の美しい景観を守り育てるまちづくりセミナー(注1)
景観条例の目指すところを、住民・行政・事業者が景観づくりの運動として展開する目的でセミナーが開かれている。中身はつぎのとおり
景観の価値を再認識
今後の課題の共有
自分たちができることを取り組む
セミナーの論点の補強
住民ひとりひとりが、美瑛町の景観の価値を認識し、維持するための運動を展開することは意義がある。そこで、いままでの論点を補強するためにつぎのとおり指摘する。
1.景観は変わってきた、これからも変わる このまちは、社会の変化の影響をうけて1970年代から大きく景観やかたちを変えて今に至っている。昔の景観に社会の変化が加わり、住民がそれに適応した経過(プロセス)を経て、前と違ういまの景観に変わった。
景観は歴史のプロセスのなかで変わる宿命にある。
ところが行政は、「住民みなで守り育てよう、景観づくりをしよう、そして次の世代に引き継ごう」と呼びかけるだけ。今後の展望のなかで、前提となる景観に影響を与える外の力(インパクト)を飛ばして、着地となる景観を継承することのみ示している。 ―「幸せな家庭を築くために、健康で真面目に働こう」といいながら、社会の変化に対抗する生き方を考えないようなものだ。
景観を守る議論において、これから予想される社会の変化や技術革新の情報や、それに適応する哲学を共有する必要がある。行先だけ示して、住民がそれぞれ努力せよとなると、宗教の色合いににてくる。
1970年代からまちの景観を変えた、社会(政治・経済・社会)の変化と技術革新の事例
機械化に対応した農地の形状変更
減反政策による作物転換やハウス建設による田園風景の変更
ダム建設による集落や自然の消滅
高度成長のなか本通りの街並み変更
自動車社会と道路の整備、電化普及による電線の増加
IT革命による光ファイバー敷設や移動アンテナの建設など
景観に影響する、これから予想される社会の変化や技術革新
少子化、高齢化、働き手(担い手)不足、これらが絡んだ人口減少が影響するもの―ー農地の担い手、市街地の担い手の不足、休耕地や空き家のさらなる増加
政治的には、TPPなど貿易自由化やJR路線維持、コンパクトシティー、自治体統合など
自然エネルギーの発電装置の布設など
インバウンドの増加や外国資本の参入
2.くらしのなかに丘の景観が見えない住民がほとんど
このまちの住民は、「景観を守り育てる」と聞けば「丘のある景観」にことだと思うだろう。ところが、「景観を守り育てるため、自分ごととして何ができるか」と聞かれたら、「丘のある景観」に暮らしていない住民は関係ないとおもうはずだ。セミナーでこれを象徴する印象的な発言があった――丘の美しさを知らなすぎる住民が多いと・・
セミナーで「景観を自分ごととして考えよ」と要請する場合、多様な景観に暮らすひとが共感できる課題設定が必要だ。
―丘の美しい景観を担ってそこに暮らしているひと:農家などごく少数
ー丘の景観の恩恵を受けるひと:観光客や観光業界、それを求めて移住したかたなど
―丘が見えない暮らしをする多くの住民
3.“景観づくり”=“まちづくり”という飛躍(混同)
このセミナーを指導される大学や研究所の先生は、「景観を守り育てる」「景観づくり」「まちづくり」という用語をあまり区別せずに使っているようだ。
人口が減っても、持続可能なまちづくり――この国の最上位の課題となっている
美しい景観をつくれば、(人口が減っても)持続可能なまちになるとは限らない
よって、“景観づくり”=“まちづくり”とはならない
これらの言葉――「景観を守り育てる」「景観づくり」「まちづくり」の用語を正確に使い分け、住民が同じ理解となるようにすべきだ。たとえば、「景観をまもる」とは景観を変えないのか、「景観づくり」とは景観を変えのかなど
まとめ
こんご予想される景観を変えるインパクトの情報や、それに対応する哲学を共有する必要がある
セミナーで「景観を自分ごととして考えよ」と言う場合、多様な景観に暮らしをするひとに通じる課題設定が必要だ
「景観を守り育てる」「景観づくり」「まちづくり」の用語を正確に使い分け、住民が同じ理解になるようにすべきだ
by Noriaki Gentsu @NorthQuest, -びえい未来ネット
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参考資料
(注1)美瑛町の美しい景観を守り育てるまちづくりセミナー(第一回2017-12-14、第二回2018-01—31) 第一回資料 第二回資料 美しい村景観セミナー資料
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